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古老文明對話與人類命運共同體(中日)

2020-12-07重要概念范疇表述外譯發(fā)布平臺

古老文明對話與人類命運共同體

古代文明との対話と人類運命共同體

潘 岳

潘 岳

2019年9月

2019年9月

中國國家主席習(xí)近平先生指出,文明因多樣而交流,因交流而互鑒,因互鑒而發(fā)展。多元文明的交流互鑒是構(gòu)建人類命運共同體的人文基礎(chǔ)。當(dāng)世界面臨百年未有之大變局,西方現(xiàn)代文明不再一家獨大,擁有數(shù)百年乃至數(shù)千年歷史的中華文明、希臘羅馬文明、俄羅斯文明、印度文明、波斯文明、奧斯曼文明等古老文明,正在重?zé)ㄉ鷻C。對人類命運共同體而言,古老文明,尤其是完成了現(xiàn)代性轉(zhuǎn)化的古老文明,蘊藏著化解現(xiàn)實困境的寶貴經(jīng)驗,凝結(jié)著追求美好未來的恒久價值。當(dāng)某些國家強調(diào)本國優(yōu)先而“逆全球化”時,大多數(shù)古老文明卻主張以包容性傳統(tǒng)助推新型全球化;當(dāng)某些國家將“現(xiàn)代化”簡化為“唯美國化”時,大多數(shù)古老文明卻主張以文化多樣性追求多元現(xiàn)代化;當(dāng)某些國家以“文明沖突論”而導(dǎo)致非彼即此時,大多數(shù)古老文明卻主張以“文明的對話”去塑造和而不同的未來。古老文明并不都是完美的,但因其內(nèi)生的開放包容傳統(tǒng),有益于形成各文明間平等對話的共同體。

中國の習(xí)近平國家主席は、文明はその多様性により交流が行われ、交流により相互學(xué)習(xí)を行い、相互學(xué)習(xí)により発展すると指摘した。多元的な文明の交流と相互學(xué)習(xí)は人類運命共同體を構(gòu)築する人文的基盤である。世界が100年ぶりの大変局に直面した時、西洋の現(xiàn)代文明はもはやその獨占的な優(yōu)位性を無くしており、中華文明、ギリシャ?ローマ文明、ロシア文明、インド文明、ペルシア文明、オスマン文明などの數(shù)百年から數(shù)千年の歴史を持つ古代文明が、生命力を復(fù)活させている。人類運命共同體にとって、古代文明、特に近代的な変革を遂げた古代文明には、現(xiàn)実的な苦境を解決する貴重な経験が含まれており、美しい未來を追求する永続的な価値が凝縮されている。一部の國が自國優(yōu)先を強調(diào)して「反グローバル化」している時、大多數(shù)の古代文明は包容力のある伝統(tǒng)によって新しいグローバル化を推進すると主張している。一部の國が「近代化」を「米國化」と簡略化する時に、大多數(shù)の古代文明は文化の多様性を通じた多元的な現(xiàn)代化の追求を主張している。一部の國が「文明の衝突論」によって二つのうちどちらかを選ばなくてはならなくなった時、大多數(shù)の古代文明は「文明の対話」で和して同ぜず(協(xié)力しながらも自分の立場を保つ)による未來の構(gòu)築を主張している。古代文明はすべてが完璧であるとは限らないが、內(nèi)生的な開放性と包容力のある伝統(tǒng)により、文明間で平等な対話を行う共同體の形成に役立っている。

一、古老文明共同體的共同命運

第一,各大古老文明共同締結(jié)了人類的軸心時代。德國哲學(xué)家雅斯貝爾斯曾說,在公元前600至前300年間,各個文明都出現(xiàn)了偉大的精神導(dǎo)師,古希臘有蘇格拉底、柏拉圖、亞里士多德,以色列有猶太教的先知們,古印度有釋迦牟尼,中國有孔子、老子……他們提出的思想原則塑造了不同的文化傳統(tǒng)。這便是人類文明的軸心時代。此后漫長的歷史時期,古老文明興衰起伏,文明基因終究未泯。馬克思將古老文明看成“人類的童年”,歷史雖然永不復(fù)返,但仍然是“一種規(guī)范和高不可及的范本”,始終具有經(jīng)久不衰的現(xiàn)代價值。

第二,古老文明在近代都遭遇了西方現(xiàn)代工業(yè)文明的沖擊。在西方,現(xiàn)代工業(yè)文明的“進步力量”背離了古希臘古羅馬文明的不少核心價值,讓人產(chǎn)生了“越現(xiàn)代越好”的錯覺,把自由主義玩過了頭而變成了歷史虛無主義。他們忘記了,在個人之上還有城邦,在欲望之上還有美德,在利益之上還有正義,在權(quán)利之上還有責(zé)任,在民主之上還有善治。在非西方世界,西方現(xiàn)代工業(yè)文明一方面給非西方古老文明國家?guī)砹俗兏铮环矫嬉矡o情中斷了非西方古老文明的持續(xù)發(fā)展。印度1905年爆發(fā)反英抗?fàn)?伊朗1905年爆發(fā)反帝革命;土耳其1908年爆發(fā)青年土耳其黨人革命;埃及1919年爆發(fā)反英大起義;中國1911年爆發(fā)了辛亥革命。 這些都是古老文明對西方?jīng)_擊的被動反應(yīng)。

第三,各大古老文明被重新激活復(fù)興。西方現(xiàn)代工業(yè)文明的弊端越是充分顯露,強調(diào)多樣性的古典文明越是彰顯積極意義。在西方,列奧·斯特勞斯、阿倫特、麥金泰爾等西方思想家的理論建樹無一不是主張重返古典文明。為了矯正個人利益凌駕于共同體利益之上,他們在亞里士多德《政治學(xué)》中去重溫“人是城邦的動物”這一教誨;為了應(yīng)對被剝離的政治與道德,人們在古希臘哲學(xué)中去重新尋找“美德倫理學(xué)”;為了應(yīng)對民粹橫行的亂象,人們在“蘇格拉底之死”的悲劇中認(rèn)識到了“多數(shù)人的暴政”,在柏拉圖理想國中汲取賢能政治的智慧。在中國近代,傳播了一輩子西學(xué)的中國思想家嚴(yán)復(fù)在一戰(zhàn)中徹底看清西方現(xiàn)代工業(yè)文明容易陷入“利己殺人、寡廉鮮恥”的戰(zhàn)爭漩渦,因而告誡后人不要丟了中國的孔孟;梁啟超深研了歐美政治學(xué)后更是提出,要“拿西洋的文明來擴充我的文明,又拿我的文明去補助西洋的文明,叫他化合起來成一種新文明”。這類想法在印度詩人泰戈爾那里也得到明顯呼應(yīng)。如今的印度正在用印度教民族主義引領(lǐng)國族再造。蘇聯(lián)解體后,俄羅斯正將東正教精神作為社會主流意識形態(tài)。伊朗在1970年代末期發(fā)起了廣泛的“伊斯蘭復(fù)興運動”。土耳其也一改全面西方化的政策而重返奧斯曼文明傳統(tǒng)。既要現(xiàn)代化,也要民族化,已經(jīng)成為各大古老文明的集體共識。

一、古代文明共同體に共通する運命

第一に、主な古代文明は共同で人類の樞軸時代を構(gòu)築した。ドイツの哲學(xué)者ヤスパースは紀(jì)元前600~300年にかけて、各文明に偉大な指導(dǎo)者が現(xiàn)れたと述べた。古代ギリシャにはソクラテス、プラトン、アリストテレス、イスラエルにはユダヤ教の預(yù)言者、古代インドにはサキャムニ、中國には孔子や老子...がいた。彼らが提唱した思想原理は様々な文化的伝統(tǒng)を作り上げた。これが人間文明の樞軸時代である。その後の長い歴史において、古代文明は盛衰の起伏はあったものの、その文明の遺伝子が消えることはなかった。マルクスは古代文明を「人類の幼年時代」と見なした。歴史は二度と戻らないが、依然として「規(guī)範(fàn)的で達成不可能なモデル」であり、いつまで経っても衰えない現(xiàn)代的価値を持っている。

第二に、近代になって、古代文明はすべて西洋現(xiàn)代産業(yè)文明の衝撃に遭遇した。西洋では、現(xiàn)代産業(yè)文明における「進歩する力」は古代ギリシャや古代ローマ文明の多くの中核的な価値に反しており、人々に「現(xiàn)代的になればなるほど良い」という錯覚を與え、自由主義が行き過ぎて歴史的虛無主義となってしまった。彼らは個人よりも國家、欲望よりも美徳、利益よりも正義、権利よりも責(zé)任、民主主義よりも優(yōu)れた統(tǒng)治があることを忘れてしまった。非西洋の世界では、西洋の近代産業(yè)文明が一方では非西洋の古代文明の國に変革をもたらし、もう一方では非西洋の古代文明の継続的な発展を容赦なく中斷させた。インドでは1905年に反英闘爭が発生し、イランでは1905年に帝國に反するイラン革命が発生し、トルコでは1908年にヤングターク革命(青年トルコ黨革命)が発生し、エジプトでは1919年に反英闘爭が発生し、中國では1911年に辛亥革命が発生した。これらは西洋からの衝撃に対する古代文明の受動的反応である。

第三に、主な古代文明は再び活性化され、復(fù)活している。西洋現(xiàn)代産業(yè)文明の弊害が明らかになればなるほど、多様性を強調(diào)する古代文明がより肯定的な意義を示すようになった。西洋のレオ?シュトラウス、アーレント、マッキンタイアなどの西洋の思想家たちの理論はいずれも古典文明への回帰を主張している。個人の利益が共同體の利益を上回っていることを是正するために、彼らはアリストテレスの「政治學(xué)」で「人間はポリス(都市國家)的動物である」という教えについて振り返った。剝離された政治と道徳に対処するために、人々は古代ギリシャ哲學(xué)における「美徳の倫理學(xué)」を再探求した。ポピュリズムが橫行する混亂に対処するために、人々は「ソクラテスの死」の悲劇から「多數(shù)派の専制政治」を認(rèn)識し、プラトンの理想國(ユートピア)から知者政治の知恵を汲み取った。近代の中國において、生涯をかけて西洋學(xué)を広めた中國の思想家厳復(fù)は、第一次世界大戦中に西洋の現(xiàn)代産業(yè)文明が「利己的殺人、恥知らず」の戦爭の渦に陥りやすいことをはっきり認(rèn)識し、後世の人々に中國の孔孟の教えを継承するよう戒めた。梁啓超は歐米の政治學(xué)を深く研究した上で更に「西洋の文明で自分達の文明を拡充し、また自分達の文明で西洋の文明を補助し、それを組み合わせて一種の新しい文明をつくり上げる」と述べた。この種の考え方には、インドの詩人タゴールもはっきりと呼応している。今のインドはヒンドゥー民族主義で國と民族の再建をリードしている。ソ連崩壊後、ロシアはギリシア正教の精神を主要な社會イデオロギーとした。イランは1970年代の末期に大規(guī)模な「イスラム復(fù)興運動」を開始した。トルコも完全な西洋化の政策を変更し、オスマン帝國の文明の伝統(tǒng)に戻った。近代化も民族化も同時に実現(xiàn)することが、さまざまな古代文明の集合的なコンセンサスになっている。

二、古老文明共同體的共同特質(zhì)

第一,大多數(shù)古老文明善于處理傳統(tǒng)與現(xiàn)代關(guān)系。西方現(xiàn)代工業(yè)文明的崛起,僅有幾百年的歷史,只是人類文明史的一小片段。與之相比,各大古老文明歷經(jīng)千年風(fēng)雨存在至今,蘊含著處理傳統(tǒng)與現(xiàn)代的豐富經(jīng)驗。如中華文明是世界上唯一一個以國家形態(tài)發(fā)展至今從未中斷的偉大文明,造就了獨特的中華民族共同體,體現(xiàn)了強而不霸、弱而不分的文明根性。如印度文明有著阿拉伯文明與西方文明會通交融的成功經(jīng)驗。如波斯文明即使在人民改信伊斯蘭教之后,仍然遺存了國家文化傳統(tǒng)。古老文明因具有深沉的文明自信,即使跌入歷史最低谷,仍煥發(fā)著頑強的生命力。

第二,大多數(shù)古老文明善于處理不同族群關(guān)系。如中華文明具有無與倫比的包容力。習(xí)近平主席在亞洲文明對話大會上強調(diào),“中華文明是在同其他文明不斷交流互鑒中形成的開放體系。從歷史上的佛教東傳、‘伊儒會通’,到近代以來的‘西學(xué)東漸’、新文化運動、馬克思主義和社會主義思想傳入中國,再到改革開放以來全方位對外開放,中華文明始終在兼收并蓄中歷久彌新。”同樣,其他古老文明如希臘文明,亞里士多德的學(xué)生亞歷山大建立起橫跨歐亞非三大洲的帝國后而開啟希臘化時代,使幾大古老文明東西傳播,封閉的古希臘城邦地方主義文明由此變?yōu)殚_放的世界性文明。如羅馬文明在興起之初便包容了美索不達米亞文明和埃及文明,所以,兩河流域的太陽神馬爾杜克和埃及女神伊西斯能同時進入羅馬萬神殿接受人們的膜拜。羅馬還讓高盧人、不列顛人以及日耳曼人的文明保持了傳統(tǒng)特色,并促進它們同拉丁文明的融合。伊斯蘭文明也曾有過開放包容的文明傳統(tǒng)。《古蘭經(jīng)》中穆罕穆德便說過,“智慧即便來自多神教徒也應(yīng)采納。”當(dāng)時古希臘經(jīng)典在歐洲已經(jīng)失傳,若沒有早期伊斯蘭的開放包容,沒有早期穆斯林翻譯保存希臘文明經(jīng)典,就沒有日后歐洲的文藝復(fù)興。再如俄羅斯自古以來就是“西方的東大門、東方的西大門”,博采東西方文明優(yōu)長而熔煉出自己的獨特文明。相反,那些單純崇尚軍事征服而無包容性文明傳統(tǒng)的國家,比如亞述人、匈奴人、赫梯人建立的王國盡管一度強盛之極,卻不過一兩百年就煙消云散。

第三,大多數(shù)古老文明善于處理西方與非西方關(guān)系。西方現(xiàn)代工業(yè)文明以資本為動力,以普世為旗幟,以自我為中心,不斷征服貶損其他文明共同體。反觀非西方的古老文明共同體,反倒更加開放更加虛心地學(xué)習(xí)西方工業(yè)文明的長處,不斷調(diào)適自身與西方文明的關(guān)系。中華文明的學(xué)習(xí)精神體現(xiàn)于中華民族偉大復(fù)興整個歷史進程中。1840年以來,我們通過洋務(wù)運動學(xué)西方技術(shù);通過維新變法學(xué)君主立憲;通過新文化運動學(xué)習(xí)科學(xué)民主。不到一百年時間,各種主義、各種方案、各種思想流派粉墨登場,幾乎重演了西方不同現(xiàn)代化版本。中國入最后選擇的社會主義,也是學(xué)習(xí)來自西方的馬克思主義。同樣,日本、土耳其、印度、伊朗、埃及等古老文明都是通過學(xué)習(xí)西方的科學(xué)知識、體制機制、現(xiàn)代教育和工業(yè)體系,而完成了現(xiàn)代轉(zhuǎn)型。歐洲也曾向各大古老文明學(xué)習(xí)。比如魁奈、伏爾泰等法國啟蒙家在中國儒家思想中獲得了大量理性元素并付諸實踐。英國借鑒中國的科舉制而建立了文官制度。遺憾的是,后來的某些大國拋棄了西方早期的開放精神和學(xué)習(xí)傳統(tǒng),認(rèn)為自己是文明演進的最高階段最高形態(tài),是歷史的終結(jié),這完全違反了文明自身發(fā)展規(guī)律。古老文明的發(fā)展歷程一再表明,并非所有雜交產(chǎn)物都是優(yōu)良品種,但所有的優(yōu)良品種都是雜交而成。

二、古代文明共同體に共通する特質(zhì)

第一に、大多數(shù)の古代文明は伝統(tǒng)と現(xiàn)代の関係をうまく扱うことができる。西洋近代産業(yè)文明の臺頭は數(shù)百年の歴史しかなく、人類文明史のほんの一部分にしかすぎない。それに比べると、各古代文明は何千年にもわたる浮き沈みを乗り越え、伝統(tǒng)と現(xiàn)代に対応する豊富な経験を有してきた。中華文明は世界で唯一、國家形態(tài)の発展を今まで中斷したことがない偉大な文明であり、獨特な中華民族共同體を生み出し、強いが覇権的ではなく、弱いが分裂しないという文明のルーツを體現(xiàn)した。インド文明にはアラブ文明と西洋文明の融合を成功させた経験がある。國民がイスラム教に改宗した後でも、ペルシア文明は依然として國の文化的伝統(tǒng)を継承してきた。古代文明には文明への自信を深めているために、歴史の底までに落ちたとしても、依然として強い生命力を有している。

第二に、大多數(shù)の古代文明は様々な民族関係をうまく扱うことができる。たとえば中國文明は比類のない包容力を持っている。習(xí)近平主席はアジア文明対話大會で、「中國文明は他の文明との継続的な交流と相互學(xué)習(xí)によって形成された、開かれたシステムである。歴史上の仏教の東伝、「イスラム文化と儒教文化の交流と融合」から、近代の「西學(xué)東漸」、新文化運動、マルクス主義と社會主義思想の中國への導(dǎo)入、そして改革と開放以降の全面的な対外開放に至るまで、中華文明は差別する事なく受け入れ、併せ持つことで常に活力を保っている」と強調(diào)した。その他の古代文明も同様である。アリストテレスの學(xué)生アレクサンドロスがヨーロッパ?アジア?アフリカの三大陸にまたがる帝國を築き、ヘレニズム時代を開拓して、主な古代文明を東西に広めて、閉鎖的だった古代ギリシャ都市國家の地域主義の文明が開放的で世界的な文明になった。ローマ文明はその臺頭當(dāng)初からメソポタミア文明とエジプト文明を受け入れてきたため、メソポタミアの太陽神マルドゥクとエジプトの女神イシスは同時にローマのパンテオンに入ることができ、人々から拝まれるようになった。また、ローマはガリア人、ブリテン人、ゲルマン人の文明が伝統(tǒng)的な特徴を保てるようにすると同時に、ラテン文明との融合を促した。イスラム文明にも開放的で包容力のある文明の伝統(tǒng)があった。「コーラン』でムハンマドは、「多神教徒の知恵も採用すべきだ」と述べた。當(dāng)時、古代ギリシャの経典はヨーロッパではすでに伝承が途絶えており、初期のイスラム教が閉鎖的なままで包容力もなく、初期ムスリムの翻訳によってギリシャ文明の経典が保存されていなかったら、その後のヨーロッパのルネッサンスは起こらなかったに違いない。もう一つの例は、古くから「西の東門、東の西門」と言われるロシアが、東西文明の強みを吸収し、獨自の文明を作り上げた。逆に、アッシリア人、匈奴人、ヒッタイトによって設(shè)立された王國のように、包容力のある文明の伝統(tǒng)が受け継がれておらず、単に軍事的征服だけを尊ぶ國々は一時的に隆盛を極めたが、100から200年で姿を消してしまった。

第三に、大多數(shù)の古代文明は西洋と非西洋の関係をうまく扱うことができる。西洋の現(xiàn)代産業(yè)文明は資本を動力に、普遍的な価値を旗印に、自己を中心にして、他の文明共同體を征服し、貶め続けてきた。これに対して非西洋の古代文明共同體は、それとは逆により開放的、より謙虛に西洋産業(yè)文明の長所を?qū)Wび、自分自身と西洋文明との関係を調(diào)整し続けてきた。中華文明の學(xué)習(xí)精神は中華民族の偉大なる復(fù)興のすべての歴史的プロセスに反映されている。1840年以降、我々は洋務(wù)運動を通して西洋技術(shù)を?qū)Wび、変法革新を通じて立憲君主制を?qū)Wび、新文化運動を通じて科學(xué)的民主主義を?qū)Wんだ。そして100年も経たないうちに、さまざまな主義、方案や、イデオロギーが登場し、西洋の異なる現(xiàn)代化バージョンをほぼ全て繰り返した。中國人が最終的に選んだ社會主義も西歐のマルクス主義から學(xué)んだものである。同様に、日本、トルコ、インド、イラン、エジプトなどの古代文明はすべて西洋の科學(xué)知識、體制メカニズム、近代教育や、産業(yè)システムを?qū)Wぶことによって、近代化への転換を?qū)g現(xiàn)した。ヨーロッパにも主な古代文明から學(xué)んだことがある。例えばケネー、ヴォルテールなどのフランスの啓蒙家は中國の儒家思想から多くの理性的な要素を獲得し、実踐した。イギリスは中國の科挙制を參考にして文官制度を確立した。殘念ながら、その後の一部の大國は西洋の初期の開放精神と學(xué)習(xí)の伝統(tǒng)を放棄し、自分が文明の進化における最高の段階と最高の形態(tài)に達し、歴史の終わりであるとみなしているが、これは文明の発展の法則に完全に違反している。交雑がもたらす産物は全て優(yōu)良品種になるわけではないが、すべての優(yōu)良品種は交雑によってできたものであるということは、古代文明の発展過程で何度も明らかになっている。

三、古老文明共同體的共同使命

第一,超越文明中心論,重塑文明多元性。古老文明自身多具有多樣性。例如,中華文明內(nèi)部保持著豐富的多樣性,形成既有統(tǒng)一性、又有差異性的治理體系。在宗教關(guān)系上,中華文明強調(diào)“多元通和、政主教從”,比西方更早提出政教分離,從未發(fā)生過宗教戰(zhàn)爭;在民族關(guān)系上,中華文明強調(diào)“和而不同、多元一體”,既有一個共同的中華民族,又有各具特色的少數(shù)民族。在國家結(jié)構(gòu)上,中華文明既有一竿子插到底的郡縣制,也有因俗而治“一國多制”傳統(tǒng)。即使在歐洲,越是具有深厚傳統(tǒng)的文明,越是提倡文明多樣性。比如法國始終具有文化自豪感,始終高揚文化主體性,始終堅信葡萄酒比可樂更高貴,率先提出文明多樣性理念.無獨有偶,同樣具有深厚文化傳統(tǒng)的德國在戰(zhàn)后始終強調(diào)文化多元主義。當(dāng)代德國哲學(xué)家哈貝馬斯提出了多元文化之間的“交往理性”,他的弟子霍耐特則提出了不同文明之間的“承認(rèn)倫理”。在德國、法國、希臘、意大利、西班牙、葡萄牙等歐盟國家共同推動下,聯(lián)合國教科文組織通過了《保護和促進文化多樣性公約》。

第二,超越單一現(xiàn)代化,探索多樣現(xiàn)代化。文明多元化決定了現(xiàn)代化道路的多元化。世界并非只有美國一種模式。同一個現(xiàn)代化,有拉美模式、有東亞模式、有阿拉伯模式和中國模式。同樣是市場經(jīng)濟,美國有新自由主義市場經(jīng)濟,德國有國家與市場相結(jié)合的市場經(jīng)濟,中國有社會主義市場經(jīng)濟。即便在民主政治內(nèi)部,美國的三權(quán)分立與英國的君主立憲不同;歐美的選舉政治與亞洲的選舉政治也不同。每一個國家根據(jù)自己的國情尋找符合自身發(fā)展的道路,恰恰是多元文明的特征。然而令人遺憾的是,正是得益于多元文化交融而強大的某大國,卻企圖用自己單一的模式來取代全球的多元模式。

第三,超越文明沖突,促進文明對話。文明沖突的根源不是古老文明的現(xiàn)代復(fù)興,而是單一文明的唯我獨尊。相比文明沖突論,各大古老文明都有對話協(xié)商的文化傳統(tǒng)。比如,中華文明追求天下為公的大同境界,而非弱肉強食的叢林法則;堅持“遠人不服則修文德”的溝通方式,而非“力量即正義”的實力原則;秉持“民胞物與”的共同利益,而非“非敵即友”的二元觀念。所以,中國即使是在綜合實力最強的時候,也沒有對外擴張、沒有殖民掠奪、沒有炮艦政策、沒有強加于人的不平等條約。再比如,上世紀(jì)50年代,中印率先倡導(dǎo)“和平共處五原則”,印度提出的不結(jié)盟運動,顯然有助于跳出西方二元對立的思維模式,彌合東西方文明斷裂的鴻溝,以合作共贏的新思維代替零和博弈的舊思維。因此,以文明對話超越文明對抗,是早已為古老文明所印證的共生共存智慧。

第四,超越文明優(yōu)越論,促進文明交流互鑒。現(xiàn)代西方文明具有根深蒂固的“文明優(yōu)越感”,而古老文明歷經(jīng)風(fēng)雨榮辱,既不妄自尊大,更不妄自菲薄。單一的西方現(xiàn)代工業(yè)文明如果不與各大古老文明交流借鑒,更加無法成為普世文明。與此同時,我們當(dāng)然相信,不與西方文明交流互鑒,非西方文明也難以發(fā)展壯大.各大古老文明絕非完美,當(dāng)年之所以被西方超越和沖擊,正是因為自身深重的積弊。古老文明必須保持開放的心態(tài),堅持不懈地交流互鑒,與西方現(xiàn)代文明攜起手來,形成更可持續(xù)發(fā)展的人類文明力量。我曾提出,生態(tài)文明可成為一個融匯不同文化、不同宗教、不同意識形態(tài)的中西文明交流平臺。這樣的平臺還能找到很多。

朋友們,習(xí)近平主席指出,“人類只有膚色語言之別,文明只有姹紫嫣虹之別,但絕無高低優(yōu)劣之分。認(rèn)為自己的人種和文明高人一等,執(zhí)意改造甚至取代其他文明,在認(rèn)識上是愚蠢的,在做法上是災(zāi)難性的。”當(dāng)世界走到新的十字路口,全人類面臨著諸多共同挑戰(zhàn)。我們是要文明一元化,還是要文明多元化;是要單一現(xiàn)代化,還是要多樣現(xiàn)代化;是要文明的沖突,還是要文明的對話;是要文明的自我封閉,還是要文明的交流互鑒?正確答案,不言而喻。我堅信,古老文明共同體的復(fù)興之路,就是構(gòu)建人類命運共同體之路。各大古老文明秉承開放包容傳統(tǒng)而彼此借鑒學(xué)習(xí),形成多元文明共同體,正當(dāng)其時;各大古老文明在構(gòu)建人類命運共同體的歷史進程中淬煉出人類共同價值,形成東西文明交流新格局,正當(dāng)其時!

三、古代文明共同體に共通する使命

第一に、文明中心論を超越し、文明の多元性を再構(gòu)築してきた。古代文明はそれ自體が多様性を有しているものが多い。例えば、中華文明はその中で豊富な多様性を保っており、統(tǒng)一性だけでなく、異質(zhì)性もあるガバナンス體系を形成している。宗教関係において、中華文明は「多元通和、政主教従(多様なものを友好的に行き來させ、政治を主として宗教を従とする)」を強調(diào)し、西洋よりも早く政教分離を打ち出したため、宗教戦爭は一度も起こらなかった。民族関係において、中華文明は「和而不同(人と協(xié)力することはあっても、人の意見や態(tài)度にむやみやたらに同調(diào)することはない)、多元一體」を強調(diào)し、一つの共通の中華民族だけでなく、それぞれ獨自の特徴を持つ少數(shù)民族もいる。國家構(gòu)造において、中華文明は末端まで行き渡らせる郡県制もあれば、風(fēng)習(xí)に従って治める「一國多制度」の伝統(tǒng)もある。ヨーロッパでも、悠久な伝統(tǒng)を持つ文明ほど、文明の多様性を提唱している。たとえば、フランスは常に文化的な誇りを持ち、常に文化の主體性を稱賛し、ワインはコーラよりも高貴であると常に確信しており、文明の多様性の概念を最初に示した。同じようなことは他にもあり、同様に文化的伝統(tǒng)を持つドイツは戦後常に文化多元主義を強調(diào)してきた。現(xiàn)代ドイツの哲學(xué)者ハーバーマスは多元文化間の「コミュニケーション的合理性」を、彼の弟子のホネットは異なる文明間の「承認(rèn)論」を打ち出した。ドイツ、フランス、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどEU諸國の共同推進の下でユネスコは「文化多様性條約(文化的表現(xiàn)の多様性の保護及び促進に関する條約)」を可決した。

第二に、単一的な近代化を超え、多元的な近代化を模索してきた。文明の多元化は近代的な道の多元化を決定づける。世界には米國モデルしかないわけではない。同じ現(xiàn)代化にしても、ラテンアメリカモデル、東アジアモデル、アラブモデルや、中國モデルがある。同じ市場経済にしても、アメリカには新自由主義の市場経済があり、ドイツには國と市場を結(jié)合させた市場経済があり、中國には社會主義市場経済がある。民主の政治の中でも、米國の三権分立と英國の立憲君主制は異なり、歐米の選挙政治とアジアの選挙政治も異なっている。各國がそれぞれ自分の國情に応じて自國の発展に適した道を探すことは、まさに多元的な文明の特徴である。しかし殘念なことに、多元的な文化の融合の恩恵を受け強くなったある大國は、グローバルな多元モデルを自分の単一モデルに置き換えようとしている。

第三に、文明の衝突を超え、文明の対話を促進してきた。文明の衝突の根源は古代文明の現(xiàn)代における復(fù)興ではなく、単一文明のうぬぼれである。文明の衝突論と比べると、各古代文明には対話と協(xié)議の文化伝統(tǒng)がある。例えば、中華文明が追求するのは弱肉強食のジャングルの法則ではなく、「天下為公(天下をもって公となす)」の自由で平等な社會の境地である。貫くのは「力は正義なり」の実力原則ではなく、「遠人不服従則修文徳(遠きが故に人服せずば、則ち文徳を修す)」のコミュニケーション方法であり、守り続けるのは「友達か敵かのどちら」という二元論ではなく、「民胞物與(民衆(zhòng)はすべて同胞で、物はすべて同類である、つまり人と全ての物を愛する)」という共通利益である。したがって、総合的な実力が最も高い時期でも、中國は海外拡張も、植民地略奪も、砲艦政策も、不平等條約の押し付けも実行しなかった。また、1950年代に、中國とインドが率先して「平和五原則」を提唱した。インドが打ち出した非同盟運動は、明らかに西洋の二元対立の思考モードから抜け出し、東洋と西洋の文明間のギャップを埋め、協(xié)力とウィンウィンの新しい考え方がゼロサムゲームの古い考え方に取って代わることに役立った。そのため、文明の対話によって文明の対立を超越することは、すでに古代文明によって証明された共生?共存の知恵である。

第四に、文明優(yōu)越論を超えて、文明間の交流と相互參考を促進してきた。現(xiàn)代の西洋文明は根深い「文明優(yōu)越感」を持っているが、古代文明は浮き沈みを経験し、思いあがってうぬぼれることも、みだりに卑下することもしない。単一的な西洋近代産業(yè)文明は主な古代文明と交流し、相互參考しなければ、普遍的な文明になる術(shù)はない。もちろん、非西洋文明も西洋文明との交流と相互參考がなければ、発展し成長することができない。主な古代文明はどれも決して完璧ではない。西洋に追い抜かれ、衝撃を受けたのも自身の深刻な積弊のためだった。古代文明は開放的な意識を保ち、交流し、相互に學(xué)び合うことを続けていき、西洋現(xiàn)代文明と手を攜えて、より持続可能な人類文明の発展の力を形成しなければならない。私はかつて、生態(tài)文明は様々な文化、様々な宗教、様々なイデオロギーを融合させた中國と西洋の文明の交流プラットフォームになることができると提案したことがある。このようなプラットフォームは他にもたくさん見つけることができる。

皆様、習(xí)近平主席は「人間は肌の色と言語だけが異なり、文明はカラフルなだけで、優(yōu)劣の違いはない。自分の人種や文明が他人より一段と優(yōu)れていると考え、意地を張って他の文明を改造したり、しいては取って代わろうとしたりするのは、愚かな認(rèn)識であり、危険な方法だ」と指摘した。世界は新しい岐路に立ち、人類は多くの共通の課題に直面している。我々は文明の一元化、それとも文明の多元化、単一的な近代化、それとも多様な近代化、文明の衝突、それとも文明の対話、文明の自己閉鎖、それとも文明の交流と相互參考、どちらを求めるのだろうか?答えは明白だ。私は古代文明共同體の復(fù)活への道が人類運命共同體を構(gòu)築する道であると確信している。主な古代文明が開放と包容の伝統(tǒng)を受け継ぎ、相互參考し、學(xué)び合い、多元的な文明共同體を形成するのに、まさに今がその時期なのだ。主な古代文明が人類運命共同體を構(gòu)築する歴史の過程の中で人類共通の価値を絞り出し、東洋と西洋の文明の交流の新しい構(gòu)造を形成するのは、まさに今がその時期なのだ! 

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